運命論

『運命』

みなさんは俗に言う『運命』というものを
どう捉えているだろうか?

物事、出来事はあらかじめ決まっており
結局はそうなるよう決定づけられている。

他にもいろんな意味合い・定義はあるのだろうが
こんかいはこんなカンジの意味合いを元にお話をさせていただきます。


小さい頃、私は運命というものが存在するんじゃないか?と
考えていました。絶対的な神という存在がいるという
キリスト教の教えが多かれ少なかれ耳にはいっていた
小学生1年生のころだから、自然と

この世の中のことは
すべて『神』という未だ懐疑的な、しかし絶対的なチカラを
もつとされている存在によってコントロールされており
その作られた道の上をすべての人間がそれることなく
生きているのではないか、

と、考えていた。

そこにさして疑問も苛立ちもうまれなかった。
そんな感情が生まれるほどまだ成熟していなかっただけだと想うけどね。
だってまだ6歳ぐらいだったし。

”神様が決めたことならしょうがない。”
こんな風に考えていたと記憶している。


しかし、こんな考えを真っ向から否定するような
出来事が小さなぼくの心に起こった。


あれはいつのことだったか、
当時から妙なチカラをうすうすながらもっていたわたくし。
ふと心の中で誰かにささやかれるように
入ってきた言葉があった。


あなたは30歳前後でこの世を去るのよ。


今ではそれがはたして
どれほど確信めいたものなのかは思い出せない。
ただの思い込みだったのかもしれない。

ただ当時、この言葉をぼくはなぜか素直に受け止めた。

『しょうがない、それが定められた道ならば。』

これも運命なのか、と想っていた。
このことは当然親にも友達にもいえなかった。
バカにされるし、親には当然烈火のごとくおこられるのが
目に見えていたのだ。

こんなことをぼくは平然と思いながら生きてきた。
中学のある日までは。。。


中学一年の時、
ぼくのおばさんが亡くなった。
生まれて初めて自分の目で見る身内の訃報だった。
子供(いとこ)は当時まだ小学校にはいったばかりでひとりっこだった。
しょちゅう遊んでいたし、もちろんおばさんとも
かなりあそんでもらった。

ぼくは人の死というものに直面し、半ば呆然としていた。
お葬式に際し、まだ小さいいとこははしゃいでいた。
いろんな人がいーっぱい集まったのだ。
それがとてもうれしそうだった。
まだ彼は何も自覚していなかったのだろう。
彼を見守るすべての大人がそんな彼の姿に涙を浮かべ
ぼくも彼を見ていられなくなった。

そして火葬場に近い親戚一同で向かった。
いとこはあいかわらずはしゃいでいる。
おかあさんの体が火葬場の中にはいっていくときもはしゃいでいた。
きっと元気なお母さんがかえってくるんだとおもっていたんだろう。

はしゃいでいた彼がお骨だけになった母親を見たときの顔は
今でもおくは忘れられない。
今でも涙がとまらなくなる。

呆然としてしまった彼がそこにいた。

元気になったおかあさんだとおもって待っていた彼をまっていたのは
辛く悲しい現実だった。

そんな彼と同様、おばあちゃんもなきくずれていまった。
自分の娘の最後の姿をみたのである。想像できないほどの悲しみだろう。
ぼくはなきじゃくるおばあちゃんをだきよせることしか
できなかった。そんなぼくも泣きじゃくっていた。

ぼくは想った。

『これもまた運命なのか?』

『避けることの許されない運命の姿なのか?』

『これまでいろんな人たちがおばさんを救おうとしたことも
それもまた結局は無駄だったのか、こうなることに決定していたのか?』

『いとこのあの呆然としてしまった姿もすべて決められていたのか!!?』


嫌だ、おれは生きてやる。なにがなんでも生き抜いてやる
そう心に誓った。
そして自分のなかにあった一番近いと想っていた運命
『あなたは30歳前後に死ぬ』というものに
全身全霊を込めて否定するようになった。

決められた道をただ進むことはつまらない。
それに逆らうことで初めて『自分の人生』と言える、そんな気がする。

なにかにがんばってがんばってなにか結果をえたとき、
なにかに変化を得られたとき、それは
自分の努力や意思があって初めてなされたわけで
決められていたものではない、と信じている。

おれの人生だ、おれが決めていくんだ。

さして複雑でもなく、こんな単純なことだけど
こう思えただけで、ぼくは
人生というものが

まえよりももっと素敵で楽しいものだと思えるようになった。

先のわからない人生、だからこそ人はなにかに向かって立ち向かい
時には悲しんだり、苦しんだりするけれど
そのことですらもぼくは
受け入れていくことに人生のおもしろさがあるんだと想う。

運命、それを信じるか信じないかは人それぞれで
ぼくは今回、自分の意見をのべただけで
運命を信じる人を誹謗中傷しようなんて全然おもわない。

ただ、すべてのひとに
『まえにむかってあるきつづけることの大切さ』だけは
忘れて欲しくない。



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